三島由紀夫が日本刀の世界に深く傾倒していったのは、1960年代後半、自らの主宰する民間防衛組織「楯の会」の結成や自衛隊への体験入隊を本格化させた時期と重なります。文弱の徒であることを拒み、肉体改造と行動主義へと突き進んだ三島にとって、日本刀は単なる美術品ではなく「武士道精神の具現」であり、自らの死生観を完結させるための不可欠な道具でした。
三島が「関の孫六兼元」とされる刀を入手したのは1968年(昭和43年)頃のことです。銀座の刀剣商を通じて購入したとされ、刀身長は2尺3寸5分(約71.2cm)、茎(なかご)にはシンプルに「兼元」と二文字の銘が切られていました。三島はこの刀を大変気に入り、当時としては珍しく実用本位の「九八式軍刀風」の拵え(外装)に誂え直させ、楯の会の隊内儀礼や演習、日頃の居合の稽古において常に身近に置いていました。
孫六兼元といえば、室町時代後期の美濃国関(現在の岐阜県関市)で活躍し、独特の「三本杉」の刃文と抜群の斬れ味で名を馳せた名工です。「折れず、曲がらず、よく切れる」という実戦刀の最高峰を求めた三島の選択には、自身の最期を見据えた冷徹なまでの美学が宿っていました。