ルーマニア民族衣装の歴史と背景は、古代ローマ以前に現在のルーマニア地域に暮らしていたダキア人の時代まで遡ります。ローマ皇帝トラヤヌスの記念柱に刻まれたダキア人の衣服には、すでに現在のイエやチュニックに酷似したチュニック状の衣服が描かれており、2000年以上にわたる原型の一貫性が見て取れます。
中世から近代に至るまで、ルーマニアの人々にとって民族衣装は単なる日常着や晴れ着にとどまりませんでした。それは着用者の出身地域、未婚・既婚の別、社会的立場、さらには年齢までもが一目で分かるIDカードのような役割を果たしていたのです。女性たちは冬の農閑期になると、夜な夜な村の集会場「シェザトアレ(Șezătoare)」に集まり、歌を歌いながら春の祭礼に向けた衣装作りに励みました。
過酷な歴史や共産党政権下での工業化を経てもなお、村の女性たちが自らのアイデンティティとして針を動かし続けたからこそ、この類稀な装飾文化が途絶えることなく受け継がれてきました。