学閥による理不尽な評価に限界を感じた秋山は、2001年9月に日本国籍を取得。正式に「秋山成勲」として、生まれ育った日本の代表枠から世界最高峰を目指すリスタートを切りました。この日本帰化の経緯は、単なる国籍変更ではなく、「フェアに畳の上で評価されたい」という純粋なアスリートとしての渇望によるものでした。
帰化直後の全日本実業柔道個人選手権を制すると、続く講道館杯全日本体重別選手権、さらには全日本選抜体重別選手権でも圧巻の強さを見せて優勝。わずか1年足らずで81kg級の日本代表の座を奪取した秋山は、2002年10月に運命の舞台へと向かいます。それは、奇しくも自身のルーツであり、韓国柔道時代に拠点を置いていた地で開催された2002年釜山アジア競技大会でした。
日の丸を道着の左胸につけて登場した秋山に対し、現地の観客席からは激しいブーイングと「裏切り者」という罵声が浴びせられました。しかし秋山は動じることなく勝ち上がり、決勝戦では韓国の強豪アン・ドンジンと対戦。場内が異様な熱気に包まれるなか、延長戦の末に判定勝ちを収め、アジア大会金メダルの栄冠を掴み取りました。
表彰台の最上段で君が代を聞きながら涙を流した秋山の姿は、日韓両国のメディアでトップニュースとして報じられました。「どちらの国を愛しているのか」という記者の問いに対し、秋山は「自分は日本人であり、同時に韓国人としての血も誇りに思っている」と堂々と回答。境界線に生きるアスリートの苦悩と気迫が、両国のファンに強烈なインパクトを与えた瞬間でした。