日本三大庭園はなぜ選ばれた?兼六園・後楽園・偕楽園の真実と違い

日本三大庭園はなぜ選ばれた?兼六園・後楽園・偕楽園の真実と違い

日本三大庭園はなぜ選ばれた?兼六園・後楽園・偕楽園の真実と違いとは一体何なのか? 背景や要点を簡潔に解説します。

三大庭園の魅力を深く味わうためには、日本庭園の形式に関する基本理解が欠かせません。京都の龍安寺に代表される枯山水は、方丈(座敷)に座ったまま瞑想するように鑑賞する「座観式(ざかんしき)」です。これに対し、江戸期の大名たちが築いた大名庭園における回遊式庭園の特徴は、敷地内に巨大な池(池泉)や築山を設け、その周囲を歩き進めることで、一歩ごとに視界の風景が劇的に変化する「一歩一景(いっぽいっけい)」のダイナミズムにあります。大名たちは自らの領国統治の正当性、財力、教養をこの広大な空間劇に投影しました。

しかし、ひとくちに大名庭園と括っても、日本三名園の違いを比較すると、その設計思想は驚くほど対極的です。

第一に、兼六園は「凝縮された完璧主義」です。中国・宋代の文人である李格非の『洛陽名園記』に記された、相反する6つの景観美(宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望)を同一敷地内で両立させたことから名付けられました。木々や巨石、起伏が複雑に配置され、視界が緻密にコントロールされた重厚な空間体験を生み出しています。

第二に、後楽園は「視界の開放感と借景」を最大の武器としています。日本庭園としては極めて異例な広大な青芝が敷き詰められ、園内のどこに立っても遮るものが少なく、旭川を挟んだ岡山城(烏城)や周辺の山並みを借景として大胆に取り込んでいます。藩主が日常的にくつろぎ、武士の教養を養う場として機能しました。

第三に、偕楽園は「民衆との共有と実用主義」に徹しています。水戸藩第9代藩主・徳川斉昭が創設したこの庭園は、他の2園と異なり、最初から「領民とともに楽しむ(偕に楽しむ)」という孟子の教えに基づき、領民へ広く開放されました。園内に植えられた大量の梅は、単なる観賞用にとどまらず、凶作や合戦時における非常食(梅干し)の確保という現実的な軍事・民政上の目的を兼ね備えていたのです。

山下 哲也
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山下 哲也

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。