まだ館のような建物だったものを、本格的に城の形にしていった人物が、黒田官兵衛・豊臣秀吉・池田輝政です。
どのように強化していったのか、詳しく見ていきましょう。
姫路城の名を広めた黒田官兵衛
- 名前:黒田官兵衛 (くろだかんべえ)
- 本名・別名:祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、如水(じょすい)
- 生年月日:1546年11月29日
- 没年月日:1604年4月19日(享年59歳)
- 時代:戦国時代~江戸時代初期
- 主君:①小寺政職②織田信長③豊臣秀吉④豊臣秀頼⑤徳川家康
- 妻:櫛橋光(くしはしてる)、小寺政職(こでらまさもと)の姪
- 豊臣秀吉の側近。織田信長、徳川家康にも仕える
姫路城で生まれた、ただ1人の人物だそうです。
祖父黒田重隆は、当時播磨国で勢力を持っていた小寺政織(こでらまさもと)に仕えていた縁で、小寺政職の姪、光(てる)を正室に迎えて姫路城主になります。
戦う相手の食料を断って、自分たちを勝利に導く「兵糧攻め」や、川の水をせき止めてその水を城内に引き入れることで城を水没させる「水攻め」と、「戦わずして敵に勝つ」頭脳派の武将でした。
1569年、姫路城に攻め入ってきた赤松政秀の軍勢に約10分の1の軍勢で対抗し、奇襲攻撃などで見事撃退します。
そして姫路城の名を世に知らしめたのです。
3層の天守閣を築いた豊臣秀吉
- 名前:豊臣秀吉(とよとみひでよし)
- 別名:羽柴秀吉(はしばひでよし)
- 生年月日:1537年2月6日
- 没年月日:1598年8月15日(享年62歳)
- 時代:戦国時代~安土桃山時代
- 主君:松下之綱→織田信長→織田秀信
- 妻:正室-浅野長勝の養女、高台院 側室-浅井長政の娘、淀殿(浅井茶々)
- 織田信長の後を継いで天下を統一
- 太閤検地や刀狩りをしたことで有名
1575年中国計略の攻撃拠点として黒田官兵衛から姫路城を提供されました。
いくら自分の君主だからと言って、お城を提供してしまうなんて、黒田官兵衛も太っ腹ですね。
1580年、黒田官兵衛の進言を受け姫路城に石垣を作り、また3層の天守閣を築いた城へと大規模改修していきます。
豊臣秀吉は身長が低かったようで、150㎝前後だったと言われています。
側室の淀殿は当時の女性では長身の168㎝もあったそうです。
自分の低身長から、背の高い大きな城に憧れを抱いていたのではないでしょうか。
5層の天守閣を築いた池田輝政
- 名前:池田輝政(いけだてるまさ)
- 生年月日:1564年1月31日
- 没人月日:1613年3月16日(享年50歳)
- 時代:安土桃山時代~江戸時代初期
- 主君:織田信長→豊臣秀吉→豊臣秀頼→織田信長→徳川秀忠
- 父母:父、池田恒興 母、善応院
- 母が織田信長の乳母だったため、織田信長からの信頼は厚かった
1582年本能寺の変で織田信長が亡くなった後は豊臣秀吉に仕え、「小田原の役」や「九州平定」など主要な合戦の大半に従軍して、功績をおさめています。
1600年関ヶ原の戦いでは、東軍の主力となって西軍を攻め落とす活躍をしました。
その後姫路城城主になり、1601年から姫路城の改修工事に取り掛かり、1609年に完成します。
この改修で天守閣が5層になり、壁が白くなったそうです。