1980年代初頭、世界の電子娯楽市場はアタリショックの余波で冷え込んでいた。そこに登場したのがファミリーコンピュータ(ファミコン)である。山内溥が命じたのは、競合が2年は追いつけない高性能機を1万円台という破格の低価格で実現することだった。
技術者たちの「不可能だ」という悲鳴を背に、山内は半導体メーカーと数十万台規模の大量発注を約束し、単価を引き下げるという賭けに出た。玩具業界の常識を根底から崩したこの決断こそが、現代のプラットフォームビジネスの起点となった。ハードを普及させ、ソフトで回収する。今では当たり前となったそのビジネスモデルを、山内は冷徹なまでの計算で確立させたのだ。