「お湯が沸いた」と「お湯を沸かした」。日常で何気なく使うこれらの表現だが、その背後にある意識の差は大きい。自動詞は状態の変化そのものに焦点を当て、他動詞は誰かの意図的な行為を示す。しかし、タイパ(タイムパフォーマンス)を重視する現代のテキストコミュニケーションでは、この主体の存在がしばしば無視される。
「ボタンが押された」のか「ボタンを押した」のか。責任の所在を曖昧にするために、あえて自動詞的な表現を多用する傾向もSNS上で観測されている。主体の不在は、現代人の責任回避の心理を映し出しているのかもしれない。