千日回峰行の達成者一覧!命懸けの苦行を制した歴代大阿闍梨の現在

千日回峰行の達成者一覧!命懸けの苦行を制した歴代大阿闍梨の現在

話題沸騰中の 千日回峰行の達成者一覧!命懸けの苦行を制した歴代大阿闍梨の現在について、多角的な視点を整理して公開しています。

千日回峰行の歴史を語る上で外すことができないのが、酒井雄哉大阿闍梨と塩沼亮潤大阿闍梨の存在です。命を落としかねない苦行を、彼らはなぜ歩み、成し遂げることができたのでしょうか。

酒井雄哉師|波乱の半生と「2度目の千日回峰行」へ向かった理由

酒井雄哉師(1926〜2013)の経歴は異色を極めます。太平洋戦争末期に海軍予科練へ志願するも特攻出撃直前に終戦。戦後は職を転々とし、結婚するも妻が自死するという深い絶望と挫折を経験しました。俗世の苦難の果てに、叔父の縁で比叡山に登ったのは39歳のときでした。

遅咲きで仏門に入った酒井師は、1980年に1回目の千日回峰行を満行。驚くべきは、満行からわずか半年後、周囲の猛反対を押し切って2回目の千日回峰行に再出立した点です。1300年を超える比叡山の歴史において、千日回峰行を2度満行したのは織田信長による焼き討ち以前の相応和尚の時代を含めて過去2名しかおらず、昭和・平成の近代においては唯一無二の偉業でした。

なぜ酒井師は再び地獄の苦行へと足を踏み入れたのか。自著や特番インタビューの中で、師は次のように淡々と述懐しています。

「1回目は自分の足で歩き、修行をこなすのに必死だった。けれど満行したとき、歩かせていただいたのは自分ではなく、仏様や周りの人々のおかげだと心底分かった。今度はその感謝を返すために、ただ仏様と一体になってお山を歩きたかった」

「一日一生」という師の言葉通り、過去を悔やまず明日を憂えず、今日という1日を完全に生き切る姿勢が、計2000日・約8万キロという途方もない距離の踏破へと結実しました。

塩沼亮潤師|吉野から大峯山へ、1300年で2人目の満行

一方、修験道の聖地・大峯山で奇跡を打ち立てたのが塩沼亮潤師です。少年時代にテレビで酒井雄哉師のドキュメンタリーを見たことを契機に出家を決意した塩沼師は、1999年に大峯千日回峰行を満行。金峯山寺開創以来1300年の歴史の中で、1991年の柳澤眞悟師に次ぐ史上2人目の達成者となりました。

大峯の行は、比叡山とは異なる過酷さを持ちます。標高差1,350メートルの岩壁や鎖場が連続する山道を、毎日深夜23時半に起床し、提灯ひとつで往復48キロ歩き続ける生活を年間4ヶ月半、通算9年繰り返します。行の期間中は、どんな大雨や台風、体調不良であっても休むことは絶対に許されません。塩沼師は激しい血尿や40度近い高熱に見舞われながらも、一度も歩みを止めることなく1000日を満行しました。

さらに塩沼師は翌2000年、断食・断水・不眠・不臥を9日間続ける「四無行(しむぎょう)」をも満行。現在、仙台市秋保の慈眼寺住職として、自身の壮絶な修行体験をもとに「感謝と反省、素直な心」を説く法話を精力的に行っています。

佐藤 大輔
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佐藤 大輔

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