民主主義の門戸を開いた「普通選挙法」と、左翼運動や国体変革を厳しく取り締まる「治安維持法」。1925年の第50帝国議会で同時代に成立したこの2つの法律は、日本の近代史における最大のパラドックスとされる。なぜ加藤内閣は、正反対の性質を持つ法案を同時に通さなければならなかったのか。
その背景には、貴族院や枢密院を納得させるための高度な与野党駆け引きが存在した。普選導入による社会主義思想の急拡大を恐れる保守派に対し、治安維持法という「ブレーキ」を提示することで、普選という「アクセル」を踏み込む決断を下したのだ。光と影が不可分に結びついたこの抱き合わせ構造こそ、政党政治の生存を賭けた加藤流政治の真骨頂であり、後の昭和の混迷へとつながる脆さを孕んでいた。