平安時代の平均寿命は本当に30歳?貴族と庶民の格差や死因の真相

平安時代の平均寿命は本当に30歳?貴族と庶民の格差や死因の真相

平安時代の平均寿命は本当に30歳?貴族と庶民の格差や死因の真相についての疑問解決ガイドを徹底解説します。

平安王朝を代表する著名人たちの実録を覗くと、彼らが直面していた生々しい闘病の実態が浮かび上がってきます。

「この世をば わが世とぞ思ふ」と詠み、栄耀栄華の頂点に君臨した藤原道長の死因と寿命は、当時のカルテともいえる貴族の日記からかなり精密に復元されています。道長は寛仁元年(1017年)頃から激しい体調不良を訴え始めました。同僚の藤原実資が著した『小右記』には、道長の症状として「昼夜を問わず水をがぶ飲みする」「急激に痩せ衰える」「視力が極端に落ちて人の顔が見えなくなる」という記述が克明に残されています。

現代の医学的見地から見れば、これは典型的な進行期の重度糖尿病(当時は「飲水病」や「消渇」と呼ばれた)とその合併症です。糖尿病性網膜症による失明の危機に瀕し、最終的には免疫力低下から背中に生じた激しい腫れ物(癰・よう)が悪化して敗血症を併発。万寿4年(1027年)、激痛の中で阿弥陀仏の手と結んだ五色の糸を握りしめながら、62歳で息を引き取りました。62歳という寿命は当時としては十分な長寿でしたが、晩年の十数年間は過酷な慢性疾患の苦痛に苛まれ続けた生涯でした。

世界最古の長編小説『源氏物語』を著した才女、紫式部の寿命と病気についてはどうでしょうか。紫式部の生没年は諸説あるものの、概ね40代前半から50歳前後で没したとする見解が有力視されています。

『紫式部日記』を読み解くと、宮仕えの精神的重圧からくる心身の不調や、虚弱な体質を吐露する記述が散見されます。当時は女性の命を奪う要因として、出産に伴う産褥熱や出血多量、そして閉鎖的な邸宅内で蔓延した結核(労咳・ろうがい)が猛威を振るっていました。紫式部自身も決して強壮な肉体を持っていたわけではなく、日常的な頭痛や倦怠感、精神的鬱屈を抱えながら筆を走らせていた様子が窺えます。最高の文学的栄光の裏側には、常に死の影に怯える不安定な健康状態が付きまとっていたのです。

阿部 裕樹
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阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。