飲食現場や一般消費者の間では、「お造り」と「刺身」の境界についてどのような認識のギャップがあるのか。都内の老舗料亭で総料理長を務める花板や調理師学校の講師陣への取材、さらには各種コミュニティでのリアルな意見を検証すると、非常に興味深い事実が浮き彫りになります。
「調理師専門学校の実習では、刺身の基本技術として魚の捌き方や平造りを叩き込みますが、現場でお造りと呼ばれる領域に入るのは、器との調和や季節のあしらい(妻・辛味・花穂など)を立体的に構成できるようになってからです。刺身が『素材を切ったもの』であるのに対し、お造りは『情景を一皿に造り上げたもの』という暗黙の美意識が業界内に共有されています」(銀座の日本料理店板前談)
一方で、一般の消費者意識調査やSNS・知恵袋などの投稿を分析すると、言葉に対する心理的ハードルの偏りが見て取れます。「居酒屋で『お造り盛り合わせ』と書かれていると気後れする」「スーパーのパック刺身を皿に移し替えただけで『お造り』と呼ぶのは恥ずかしいのではないか」といった、形式的な格式にとらわれた戸惑いの声が目立ちます。
しかし、食生活史の観点から見れば、お造りと呼ばれるようになった歴史は家庭料理を排除するものではありません。関西圏の一般家庭では、ごく自然に日常の夕食でも「今日のお造りは何?」と会話が交わされています。「お造りは料亭専用の高級語」「刺身は大衆的な俗称」という二項対立は、近代以降に関東主導のメディアやマナー解説本が過剰に格式を強調したことで生まれた、後付けの固定観念に過ぎません。