日本三大そうめん(揖保乃糸・三輪そうめん・小豆島そうめん)がいかに細く繊細に仕上げるかを競い合ってきた歴史を持つ一方で、徳島県美馬郡つるぎ町半田で受け継がれる半田そうめんは、明確に「太口(ふとぐち)」の道を歩み続けてきました。太さはおよそ1.3mmから1.7mm前後あり、一般的な極細そうめんと並べると大人と子どもの腕ほどの歴然とした差があります。
この特異な太さが定着した背景には、吉野川上流に位置する半田地区の地理的条件と、江戸時代中期の舟運文化が深く関わっています。かつて吉野川の水運を支えた「拾石船(じっこくぶね)」の船頭たちが、奈良・三輪地方から手延べ素麺の技術を持ち帰ったのが始まりとされていますが、なぜ細く延ばさなかったのか。そこには山間部ならではの厳しい冬の気候と、重労働に従事した船頭たちの嗜好がありました。
半田は四国山脈から吹き下ろす「剣山おろし」の冷風と、吉野川の清らかな伏流水に恵まれた素麺作りの適地です。しかし、細く繊細な麺よりも、腹持ちが良く、噛み締めるほどに小麦の旨みが溢れる力強い麺が労働者たちに圧倒的に喜ばれました。さらに、家庭で手早く茹でて大鍋で囲む際にも麺が伸びにくく、温かい汁物に入れても煮崩れしない実用性が、地域一帯に太口そうめんを定着させたのです。半田屋の古文書などによると、約250年前の江戸中期には時の将軍へ阿波の特産品として献上された記録も残されており、単なる亜流ではなく、確固たる信念のもとで育まれた伝統であることが分かります。