1960年代の東京オリンピック前後、日本の学校教育業界は体育教育の拡充を進めていた。その波に乗り、脚光を浴びたのが密着型の濃紺ブルマである。伸縮性に優れた合成繊維の登場と相まって、動きやすさと大量生産のしやすさを兼ね備えたアイテムとして急速に全国普及した。
当時のスポーツアパレル産業にとっても、全国の学校で一括採用される指定体操着は極めて安定した巨大市場だった。メーカーと学校関係者の間で標準化が進み、瞬く間に「女子の体操着=ブルマ」という強力な固定観念が日本全国の教室に定着することとなったのだ。