制作の舞台裏に目を向けると、このエピソードには興味深い裏話が存在する。実は三谷幸喜自身、最初にこのエピソードを劇中に盛り込んだ時点では、明確なオチを考えていなかったことを後のインタビューや著書などで明かしている。つまり、「オチがないこと」こそが最初からの設計であり、制作陣による壮大な悪ふざけであり試みでもあったのだ。
また、『古畑任三郎』にとどまらず、三谷が手掛けた他のドラマや舞台作品でも、この「赤い洗面器」というキーワードは密かに散りばめられている。作品の垣根を超えて反復されることで、メタ的な伏線としての役割を果たし、三谷作品の熱狂的なファン(通称三谷フリーク)に向けた暗号のようなイースターエッグとして機能してきた経緯がある。