なぜ初代ではない?坂上田村麻呂が最強の征夷大将軍と呼ばれた真相

なぜ初代ではない?坂上田村麻呂が最強の征夷大将軍と呼ばれた真相

なぜ初代ではない?坂上田村麻呂が最強の征夷大将軍と呼ばれた真相について分かりやすく解説いたします。専門家の見解をチェックしてください。

坂上田村麻呂が駆け抜けた54年間の生涯と、当時の主要な出来事を時系列でまとめました。

年代(西暦)主な出来事・歴史的功績天平宝字2年(758年)坂上苅田麻呂の三男として誕生。宝亀9年(778年)音羽山にて延鎮上人と出会い、清水寺の創建に関わる。延暦13年(794年)平安京遷都。大友弟麻呂が初代征夷大将軍となり、田村麻呂は副将軍格として従軍。延暦16年(797年)坂上田村麻呂が第2代征夷大将軍に任命される。延暦20年(801年)4万の兵を率いて蝦夷征討に出陣し、大勝利を収める。延暦21年(802年)胆沢城を築城。蝦夷の首長アテルイとモレが降伏。朝廷に助命を請うも処刑される。延暦22年(803年)志波城を築城し、東北支配の防衛体制を完成させる。弘仁元年(810年)薬子の変(平城太上天皇の変)が勃発。嵯峨天皇側として迅速に対処し、事態を収束させる。弘仁2年(811年)山城国栗栖野(現在の京都市内)にて死去(享年54)。武人の鑑として称えられる。
鈴木 陽菜
Author

鈴木 陽菜

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。