沖縄の高校野球史を語るうえで、1958年の第40回大会に出場した首里高校の物語を外すことはできない。当時まだアメリカ統治下にあった沖縄の球児たちが持ち帰ろうとした甲子園の土は、植物検疫法という冷徹な壁によって神戸港で海へと捨てられた。球児たちが流した涙と、その土を海に撒いた無念の記憶。それが沖縄野球の原点であり、全国制覇に向けた壮大なドラマの幕開けだった。
やがて時代は進み、名将・裁原篤二監督率いる沖縄水産が2年連続で甲子園の決勝に進出。あと一歩で深紅の大優勝旗に手が届かなかった悔しさは、県民全体の情熱へと火をつけた。そして2010年、我喜屋優監督率いる興南高校が圧倒的な完成度で春夏連覇を達成。「沖縄の野球は全国トップレベルである」ことを完全に証明してみせたのだ。