実際の沖縄戦において、2人の兵士が潜伏していたガジュマルの木は、伊江島中央部南側の通称「ニーバンガジュマル(あるいは二番ガジュマル)」と呼ばれる樹齢数百年の巨木でした。現地調査および沖縄県立公文書館所蔵の資料によると、ガジュマルの複雑に入り組んだ気根と鬱蒼とした葉が、米軍の航空索敵や地上部隊の視線を遮る天然の要塞となっていたことが確認されています。
生還後に語られた宮城伍長の手記や関係者の証言によると、2年間の潜伏生活は過酷を極めました。主食となったのは、ガジュマルの新芽や実、夜間に木を降りて捕獲したカタツムリ、ネズミ、トカゲ、そして米軍の残飯集積所から命がけで回収した缶詰の残りかすでした。
当時、島民の間では「まだ山や木の上に日本兵が隠れているらしい」という噂が囁かれていました。米軍による掃討作戦で命を落とすことを恐れた地元住民たちは、なんとか彼らを無傷で救出できないかと知恵を絞りました。
1947年4月、地元住民が木の下に置いたのが、「戦争は2年前に終わりました。日本は負けましたが、故郷では復興が始まっています。どうか生きて帰ってください」という懇願の手紙と、缶入りのタバコ、白米のおにぎりでした。文字を見た糸数氏が涙を流し、頑なだった宮城伍長を説得。ついに2人は両手を挙げて木を降り、米軍と地元警察に保護されました。保護された当時、2人の衣服はボロボロに裂け、髪や髭は伸び放題で、体重は30キロ台にまで落ち込んでいたと記録されています。