インターネット上の掲示板やSNSでは、アシタカの行動に対して長年にわたり賛否両論の議論が交わされています。その代表格が「カヤからもらった黒曜石の小刀をサンにプレゼントした問題」と「ラストシーンのセリフは実質的なプロポーズなのか」という2つの疑惑です。
1. カヤの小刀を譲渡したアシタカの冷酷さと覚悟
劇中冒頭、タタリ神の呪いを受けたアシタカは、髷を切り落としてエミシの隠れ里を永久に追放されます。その旅立ちの際、許婚(いいなずけ)であった少女・カヤは、掟を破ってまでアシタカを見送りに現れ、自らの宝物である「黒曜石の小刀」を手渡します。「いつもいつも、カヤは兄様を思っております」と涙を流すカヤに対し、アシタカは「わたしもだ。いつもカヤを思おう」と応じました。
しかし物語の後半、アシタカはその大切な小刀をサンへあっさりと手渡してしまいます。この描写について、ネット上では「クズ男」「女心を弄んでいる」といった手厳しい意見が散見されます。
しかし、当時の公式パンフレットや絵コンテ、宮崎駿監督の解説を検証すると、全く異なるアシタカの精神状態が浮かび上がります。アシタカにとってエミシの里を出ることは「社会的な死」を意味していました。村を追われた彼は、もはやカヤと結ばれる未来も、里へ戻る道も完全に断たれています。アシタカにとってカヤの小刀は、過去の未練にすがるための記念品ではなく、「命をくれた者の魂の象徴」でした。
その純粋な祈りの結晶をサンに託した行為は、浮気心などではなく、死の淵に立つサンの命を守り抜くための「魂のバトン」だったと解釈するのが、作品のコンテクストとして極めて自然です。宮崎監督自身、後の対談で「男というのはそういう理不尽で非情な一面を抱えているものだ」と語りつつ、生き延びるための切迫した決断であったことを認めています。
2. ラストシーンの結末は「プロポーズ」だったのか?
シシ神の首が返還され、大地に緑が蘇ったラストシーン。サンはアシタカへの好意を抱きつつも、「アシタカは好きだ。でも、人間を許すことはできない」と告げます。これに対してアシタカは次のように返します。
「それでもいい。サンは森で、わたしはタタラ場でくらそう。共に生きよう。会いに行くよ。ヤックルに乗って」
一部の解説やファンコミュニティでは、このセリフを「事実上のプロポーズ」「遠距離恋愛の誓い」と捉える向きもあります。しかし、これを単なる男女の恋愛の成就とみなすのは早計です。
二人は決して一つの家に同居し、同じ価値観で結ばれるわけではありません。サンは森の側に留まり、アシタカは文明の側に身を置く。両者の間には埋めようのない断絶が存在し続けています。それでも互いを殺し合うのではなく、異なる世界に身を置きながら「共に生きる(共生する)」という道を選んだのです。これは安易な一体化を拒絶し、互いのアイデンティティと境界線(バウンダリー)を尊重した上での、極めて現実的で大人びた人生の誓約と言えます。