教団の急拡大に対し、大日本帝国政府と特別高等警察(特高)は強い警戒感を抱きました。万世一系の天皇を現人神(あらひとがみ)とする大日本帝国憲法下の「国家神道体制」において、大本教が唱える「天皇の統治権の相対化」と「神による世の立て直し」は、国家秩序の根底を揺るがす危険思想とみなされたためです。こうして日本の近代宗教史上、類を見ない苛烈な二度の弾圧が引き起こされました。
特に1935年の第二次大本事件は凄惨を極めました。内務省・特高警察は、綾部と亀岡の聖地に数百人の警官隊を突入させ、王仁三郎をはじめとする教団最高幹部を一斉検挙。敷地内の巨大神殿群は軍の手によってダイナマイトで木っ端微塵に爆破され、敷石に至るまで徹底的に削り取られて更地と化しました。教団財産は強制競売にかけられ、教団名を使用することすら一切禁じられたのです。
取調室では凄惨な拷問が行われ、未決勾留中に16人もの命が失われました。王仁三郎自身も6年8カ月にわたり過酷な獄中生活を余儀なくされましたが、屈することなく裁判闘争を継続。敗戦直後の1945年(昭和20年)10月、大審院(現・最高裁判所)において治安維持法違反について全員無罪判決が確定しました。国家権力が法と武力を総動員して一宗教を物理的に根絶しようとしたこの事件は、近代日本の信教の自由と立憲主義の崩壊を象徴する暗黒史として、今なお法学・歴史学の現場で語り継がれています。