謎多き大本教の真実|出口王仁三郎の予言と国家弾圧の歴史を解明

謎多き大本教の真実|出口王仁三郎の予言と国家弾圧の歴史を解明

謎多き大本教の真実|出口王仁三郎の予言と国家弾圧の歴史を解明に関する話題のニュースを分かりやすく解説します。関心のある方は必見です。

教団の急拡大に対し、大日本帝国政府と特別高等警察(特高)は強い警戒感を抱きました。万世一系の天皇を現人神(あらひとがみ)とする大日本帝国憲法下の「国家神道体制」において、大本教が唱える「天皇の統治権の相対化」と「神による世の立て直し」は、国家秩序の根底を揺るがす危険思想とみなされたためです。こうして日本の近代宗教史上、類を見ない苛烈な二度の弾圧が引き起こされました。

事件区分発生時期・罪名弾圧の規模・被害状況歴史的影響・結末第一次大本事件1921年(大正10年)
不敬罪・新聞紙法違反幹部逮捕、綾部本部の神殿一部破却、出版物の発禁処分大正天皇崩御による恩赦で免訴。直後に王仁三郎は満蒙へ脱出し国際活動を展開。第二次大本事件1935年(昭和10年)
治安維持法・不敬罪信徒約3,000人を取り調べ、幹部ら987人検挙、神殿施設をダイナマイトで完全爆破破却教団は地上から完全に消滅させられたが、戦後1945年に治安維持法について全員無罪を勝ち取る。

特に1935年の第二次大本事件は凄惨を極めました。内務省・特高警察は、綾部と亀岡の聖地に数百人の警官隊を突入させ、王仁三郎をはじめとする教団最高幹部を一斉検挙。敷地内の巨大神殿群は軍の手によってダイナマイトで木っ端微塵に爆破され、敷石に至るまで徹底的に削り取られて更地と化しました。教団財産は強制競売にかけられ、教団名を使用することすら一切禁じられたのです。

取調室では凄惨な拷問が行われ、未決勾留中に16人もの命が失われました。王仁三郎自身も6年8カ月にわたり過酷な獄中生活を余儀なくされましたが、屈することなく裁判闘争を継続。敗戦直後の1945年(昭和20年)10月、大審院(現・最高裁判所)において治安維持法違反について全員無罪判決が確定しました。国家権力が法と武力を総動員して一宗教を物理的に根絶しようとしたこの事件は、近代日本の信教の自由と立憲主義の崩壊を象徴する暗黒史として、今なお法学・歴史学の現場で語り継がれています。

鈴木 陽菜
Author

鈴木 陽菜

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。