時計の針を1999年1月に巻き戻してみよう。奈良文化財研究所が主導した飛鳥池工房遺跡発掘調査プロジェクトにおいて、考古学・文化財調査業界を震撼させる大スクープが飛び込んだ。飛鳥寺の南東に広がる谷あいの湿地帯から、未加工の鋳竿が付着したままの銭貨や、鋳型、鞴(ふいご)の羽口、溶けた青銅の滓(かす)がまとまって出土したのだ。
それは偶然の産物ではない。国家規模の総合工房群がそこに存在し、組織的かつ計画的に銭貨を量産していた動かぬ物証だった。出土層位の年代測定によって、この鋳造工房が7世紀末の天武朝前後に確実に機能していた事実が確定した。長年信じ込まれてきた「和同開珎(708年)=最古の貨幣」という教科書通りの神話が、土の底から掘り起こされた物証によって鮮やかに覆された瞬間である。
だが、世紀の発見に沸く列島を前に、研究者たちの間ではすぐさま熾烈な論争の火蓋が切って落とされた。なぜなら、その形状があまりに特異であり、文字の配列や意匠が後世の律令貨幣とは一線を画していたからだ。