梶山静六の真骨頂が発揮されたのが、1996年に発足した第1次・第2次橋本内閣での内閣官房長官時代です。橋本龍太郎首相を支える女房役として内閣の要となり、「影の総理」と呼ばれるほどの絶対的な統率力を示しました。
その危機管理能力を象徴する出来事が、1996年12月に発生したペルー日本大使公邸占拠事件です。現地との通信や情報管理を厳格にコントロールし、過激派組織に対する冷静かつ粘り強い対応を指揮。国内の混乱を最小限に抑え込みました。さらに、朝鮮半島危機を見据えた「周辺事態法」や「有事法制」の法制化にいち早く着手し、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)改定の推進力となった功績は、現在の安全保障政策の土台となっています。
また、金融危機が深刻化した1990年代後半には、公的資金注入を含む金融早期健全化の必要性をいち早く訴え、金融再生策を主導しました。官僚機構を完全に掌握し、時に怒号を飛ばしながらも的確な指示を即断即決で下す姿は、まさに「乱世の梶山」の異名そのものでした。