地方大会の決勝。勝てば甲子園。誰もが佐々木の登板を疑わなかった。しかし、メンバー表に彼の名前はなかった。国保監督が下した「故障予防のため」という決断は、スタジアムに静寂をもたらし、その後の日本社会に大激論を巻き起こすことになる。
「なぜ投げさせないのか」「子供の夢を奪うな」という感情論から、「選手の未来を守る英断だ」という擁護論まで、怒号と拍手が入り乱れた。学校には苦情の電話が殺到したという。当時、高校野球における投手の酷使問題は限界に達していた。佐々木の登板回避は、単なる一試合の勝敗を超え、日本の部活動が抱える構造的な闇を白日の下に晒すことになったのだ。