大喜利での不振から、一部のネットユーザーの間では「落語そのものが下手なのではないか」という極端な言説まで広がりました。しかし、彼の落語家としての経歴と高座での評価を客観的に見つめ直すと、テレビの印象とは異なる一面が見えてきます。
1989年に父の弟子である林家こん平に入門し、「林家いっ平」として前座修業を開始した三平は、1993年に二ツ目昇進、1999年には真打昇進を果たしています。入門初期は英語落語や中国語落語に挑戦するなど国際派としての活動を展開し、明るく軽快な語り口でタレントとしても幅広い知名度を獲得しました。2009年には大名跡である「二代目 林家三平」を襲名しています。
演芸評論家筋の評価では、三平の本来の持ち味は持ち前の陽気さを生かした「新作落語」や、テンポのよい「軽妙な噺」にありました。しかし名跡の重みから重厚な「古典落語」の習得を急ぐあまり、自身の資質と演目の噛み合わせに苦心した時期があったことも事実です。テレビでの挫折は、落語家としての実力不足というよりも、大喜利という特殊なフォーマットへの不適合であったと見るのが演芸界の支配的な見解です。