連合赤軍・森恒夫の正体|山岳ベース事件の真相と東京拘置所での最期

連合赤軍・森恒夫の正体|山岳ベース事件の真相と東京拘置所での最期

連合赤軍・森恒夫の正体|山岳ベース事件の真相と東京拘置所での最期にまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。

資金力は尽きかけているものの銃砲強奪により武器を持っていた革命左派(京浜安保共闘)と、資金(M作戦による強盗資金)はあるが武器を持たない赤軍派。両組織は1971年、警察の追及を逃れて山中に軍事訓練拠点を築く過程で統合し、連合赤軍を結成しました。

ここで主導権を握ったのが、赤軍派トップの森恒夫と、革命左派トップの永田洋子でした。両者は激しい主導権争いを水面下で繰り広げながらも、互いの権威を保つために奇妙な共依存関係を結んでいきます。

森が持ち出したのが「共産主義化」という独自の観念論でした。「真の革命戦士になるためには、小ブルジョア的な甘えや階級性を自己批判し、乗り越えなければならない」という論理です。この自己批判の要求が、いつしか暴力によって相手の弱さを叩き出す「総括」へと変貌していきました。

指導部に疑問を呈した者、日常的な言動に「革命戦士としての自覚が足りない」とみなされた者が次々と名指しされ、真冬の極寒のベースで凄惨な集団暴行に晒されました。元メンバーの坂口弘や植垣康博らの手記によると、森は「殴るのは指導であり、本人の共産主義化を助ける行為だ」と強弁し、殴られて気絶した仲間を「気絶するような精神的弛緩が問題だ」とさらに追いつめたと記録されています。結果として、1971年12月から1972年2月までのわずか2ヶ月余りで、女性や未成年を含む12名もの尊い命が奪われることになりました。

中川 明日香
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中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。