日本の首相と政党の関係は、時代によってその性質を大きく変えてきました。戦前・戦中・戦後の大きな潮流を追うことで、首相の出身母体がどのように移行してきたのかが明確に見えてきます。
明治初期、内閣制度が発足した1885(明治18)年の初代・伊藤博文をはじめとする初期内閣は、特定の政党に属さない「超然主義」をとる薩摩・長州出身の藩閥官僚が中心でした。しかし、帝国議会の開設に伴い議会の多数派工作が不可欠となり、伊藤博文自らが1900年に「立憲政友会」を結成。ここから政党と内閣の本格的な関わりが始まります。
大正期に入ると、1918(大正7)年に「平民宰相」と呼ばれた原敬が本格的な政党内閣を組織しました。昭和初期にかけては立憲政友会と立憲民政党による二大政党対立(憲政の常道)が定着したものの、軍部の台頭と五・一五事件(1932年)によって政党政治は一旦終焉を迎えます。戦時下の大政翼賛会体制を経て、戦後の民主化によって再び政党を基盤とする議院内閣制が復活しました。
戦後は日本自由党、日本進歩党、日本社会党、民主党などが離合集散を繰り返しましたが、1955(昭和30)年の保守合同によって自由民主党(自民党)が誕生。ここから半世紀以上に及ぶ自民党主導の政治がスタートすることになります。