秀長にとって最大の苦悩となったのが、男子の後継者に恵まれなかったことでした。秀長と妻の間には、記録上2人の実子(いずれも女子)が確認されています。
長女であるおきく(大善院)は、秀長の家督を継がせるため、姉・日秀尼の三男である甥の豊臣秀保(秀吉の甥であり、豊臣秀次の弟)を婿養子に迎えました。この婚姻によって「大和宰相家」の看板と領地を維持しようとしたのです。
しかし、秀長の死からわずか4年後の文禄4年(1595年)、跡を継いだ豊臣秀保が17歳の若さで謎の急死を遂げます。男子の血統が完全に途絶えた大和大納言家は、秀吉の命により改易・断絶という非情な結末を迎えることとなりました。遺された娘のおきくも、夫の急死と実家の没落という過酷な運命に翻弄されることになります。