家名としての名跡は潰えたものの、豊臣秀長本人の肉親としての血筋は途絶えていませんでした。その鍵を握るのが、秀長の実娘である大善院(菊姫 / 於菊)です。
大善院は秀保の死後、毛利元就の孫であり、名将として知られる毛利秀元(長府藩初代藩主)の正室として迎えられました。秀元は豊臣秀吉からも高く評価され、毛利宗家の後継候補から一門の重鎮へと昇りつめた人物です。この婚姻により、秀長の実子の血脈は西国の雄・毛利一門へと強固に合流することになります。
大善院は慶長14年(1609年)に京都で病没しますが、秀元との間に女子をもうけました。この娘たちが後の長州藩主や有力大名家へと嫁ぎ、秀長の血統を母系(女系)として幾重にも紡ぎ出していく原点となったのです。秀吉の直系男子が力づくで歴史から消し去られたのに対し、秀長の血は政略結婚のネットワークを通じて密やかに、しかし確実に生き残りを図りました。