織田信長が楽市楽座を強力に推し進めた最大の目的は、旧支配層(延暦寺などの有力寺社や朝廷・公家)の財政基盤を解体し、富と人を自らの城下に集中させることにありました。
中世の「座」は有力寺社や公家に莫大な上納金を納める代わりに独占権を保証されていました。座を解散させることは、敵対する寺社勢力の資金源を断ち切る強力な経済制裁そのものだったのです。
信長はこれと並行して「関所の廃止」を断行しました。当時の日本国内には無数の関所が存在し、通行税(関銭)の徴収や荷物の検問によって物流を著しく停滞させていました。信長は領内の関所を撤廃し、人と物の移動を完全に自由化。これにより街道沿いの輸送コストが激減し、広域にわたる自由貿易ネットワークが急速に形成されました。
関所の撤廃と座の解体という2つの規制緩和が合わさったことで、商人たちは莫大な利益を求めて信長の城下町へと殺到することになります。