一連の騒動において、メディアのあり方そのものが問われる局面が多々存在した。「週刊文春」をはじめとする過熱した芸能ジャーナリズムは、渦中の人物たちの私生活を白日の下に晒し、大衆の好奇心を煽り立てた。その濁流の中で、彼が見せた徹底的な「個人の意思の提示」は極めて異例だった。
事務所や代理人任せにせず、自らの言葉と意志でカメラの前に立ったあの姿。それは、一方的に消費される側の人間が、メディアという巨大な構造に対して投げかけた静かな抗議でもあった。ジャーナリズムの暴力性と個人の尊厳、その葛藤の狭間で彼が選択した生き方は、現代の報道のあり方に今も重い問いを突きつけている。