ネット上の感想や考察において、時折「菊田は有古力松(アイヌ名:イポプテ)を利用して見殺しにしたのではないか」という誤解が見受けられます。しかし、作中の描写を丹念に追えば、それが完全な事実誤認であることが分かります。
菊田と有古の家系には、かつて八甲田山雪中行軍遭難事件の遺体捜索において、有古の父(アイヌの捜索隊)と菊田が深く関わったという歴史的背景がありました。菊田は有古の誠実さとアイヌとしての立場を誰よりも尊重しており、彼を鶴見の狂気の渦から救い出すために陸軍中央側へ引き入れようとしていたのです。
有古が無残な死を遂げた際、菊田が見せた静かな怒りと深い哀悼の情は本物でした。非情な軍事スパイの任務を負いながらも、身内や信頼した人間を決して道具として割り切れない人間味こそが、菊田杢太郎という男の本質でした。
【プロの結論】心理的バウンダリーを保ち続けた「成熟した大人」の教訓
『ゴールデンカムイ』に登場する多くの軍人は、鶴見中尉の強烈な父性や救済の物語に依存し、精神的な境界線(バウンダリー)を失って破滅へと向かいました。宇佐美や江渡貝はその典型例といえます。
対照的に菊田は、鶴見のカリスマ性に魅了されることなく、常に健全な客観性と自立心を維持していました。組織の論理に翻弄されながらも、最後まで「弟(杉元)を案じる兄」であり「誇り高き古参兵」であり続けた菊田の生き様は、集団心理に流されず己の倫理観を守り抜くことの気高さと、その代償としての孤独を現代の私たちに教えてくれます。