戦国時代の九州において、大友宗麟と島津義久という二人の名将が激突したこの合戦には、長年「大友軍の自滅」という単純な構図が当てはめられてきた。しかし、近年の史料再検証や2026年の最新考察によって、戦果を分けた知られざる勝敗要因が明かされつつある。
大友軍は数において優勢であったものの、指揮系統の深刻な分断を抱えていた。当主・宗麟がキリシタン理想郷の建設を夢見て陣中から離れた場所に留まり、実戦指揮を部下に委ねたことが現場の混乱を招いた。一方、島津軍を率いた島津義久は、一族の強固な結束力と緻密な補給線を維持。情報戦においても大友方の動揺を正確に把握し、戦機を逃さなかった点が決定的な差となった。