新京極の成り立ちを紐解くには、安土桃山時代まで時計の針を巻き戻す必要がある。天下統一を果たした豊臣秀吉は、京都の都市改造計画の一環として市中の寺院を一か所に集約した。これが現在の寺町通の始まりである。
転機が訪れたのは明治維新後のことだ。事実上の東京遷都によって活気を失いかけた京都を復興させるべく、第2代京都府知事・槇村正直が大胆な都市計画を断行した。寺町通にあった寺院の境内地を整理・縮小させ、1872年(明治5年)、寺町通の東隣に新たな歓楽街として開通させたのが新京極通である。
通りの真ん中に佇む誓願寺をはじめ、多くの寺院が商店街の中にすっぽりと溶け込んでいるのはそのためだ。買い物客が行き交う賑やかなアーケードのすぐ隣で、線香の煙が静かに立ち上る。信仰の場と世俗の遊び場が背中合わせに共存する特異な景観は、明治初期のダイナミックな都市改造がもたらした遺産にほかならない。