多くの人が「今田耕司の相方=ほんこん」と即答するが、キャリア最初期まで遡ると、そこには知られざる試行錯誤の歴史がある。NSC(吉本総合芸能学院)4期生として吉本興業の門を叩いた今田だが、最初から「130R」として順風満帆にスタートを切ったわけではない。
養成所時代、今田は同期生と組んでは解散を繰り返す、いわゆる“相方探しの放浪期”を経験していた。当時の心斎橋筋2丁目劇場は、若手芸人がしのぎを削る過酷なサバイバルの場。今田も一時は別の同期芸人とユニットを試作し、ステージに立っていた事実がある。一方のほんこん(当時は本名の蔵野孝洋)もまた、「骨付きカルビ」というコンビで活動していたが、相方の引退によって突如ピン芸人となった。
互いにパートナーを失い、劇場での居場所を模索していたふたりを引き合わせたのは、劇場のプロデューサー陣や先輩芸人の助言だった。1987年、消去法とも運命とも言える巡り合わせで誕生したのが「130R」である。スタイリッシュで都会的な今田と、強烈な個性と泥臭いリアクションを持つほんこん。水と油のように見えたふたりのコントラストは、劇場関係者の予想を遥かに超える化学反応を起こすことになる。