1918年5月4日、新潟県刈羽郡二田村(現・柏崎市)の農家に生まれた田中角栄。幼くして父を病で失い、高等小学校を卒業後、15歳で単身上京。土方仕事や建築見習いを経て、19歳で建築設計事務所を設立するというバイタリティを見せた。日中戦争では騎兵として従軍し、肺炎で内地送還後に軍需関連事業で財を成す。1947年、29歳で旧日本進歩党から衆議院議員に初当選。以後、大蔵官僚出身でない「党人派」でありながら卓越した財政感覚を買われ、30代で岸内閣の郵政大臣、池田内閣の大蔵大臣を歴任。1965年には41歳で自民党幹事長に就任し、「選挙の神様」と呼ばれる組織力で政界に確固たる地位を築いた。
1972年、石橋湛山・岸信介・池田勇人・佐藤栄作という党人派と官僚派の政争を制し、悲願の総理総裁に就く。その政治手法は、政策の「数値化」と「現場主義」に特徴があった。官僚の提出する答弁書を読まず、自ら地図とそろばんで効果を計算したという伝説的な逸話は、大蔵省官僚出身ではないからこその強みとして語り継がれる。