テレビの普及によって映画館から客足が遠のくなか、日本映画界の命運を背負って立ち上がったのが日活だった。1971年にスタートした「日活ロマンポルノ」は、「10分に1回の濡れ場」「上映時間70分程度」という最低限の商業的縛りさえ守れば、監督に完全な表現の自由を認めた。この特異な制作環境が、若き才能たちの実験場となったのは必然だった。
一方の東映も負けてはいない。泥臭くバイオレンスとエロスを融合させた「ピンキー・バイオレンス」路線を疾走し、観客の原初的な本能を刺激し続けた。低予算と過密日程のなか、撮影現場ではスタッフとキャストが極限の緊張感でぶつかり合い、今なおカルト的な輝きを放つ傑作群を生み落としていったのだ。