高橋由一が『鮭』を描いた1877年(明治10年)前後、日本において「油絵(洋画)」はまだ広く一般に理解されている存在ではありませんでした。当時の伝統的な日本画は、輪郭線と平塗りを基調とした様式美を重んじており、陰影や光の反射を駆使して三次元の立体感をカンバス上に再現する西洋絵画の概念は、多くの日本人にとって未知の領域だったのです。
幼少期から狩野派を学びつつも、幕末に目にした西洋の石版画に衝撃を受け洋画へ転向した由一は、ある強烈な危機感を抱いていました。「油絵がいかに優れた写実の力を持っているかを、専門知識のない一般民衆にも一目で納得させなければ、日本に洋画文化は根付かない」という確信です。
そこで由一が白羽の矢を立てたのが、当時の日本人にとって極めて身近な保存食だった新巻鮭(あらまきざけ)でした。もしも異国の果物や見慣れない花を描いてしまえば、見る人はそれが本物そっくりなのかどうかを直感的に判断できません。誰もが手触りや味、匂いまで知っている塩鮭を描き、「まるで本物がそこにあるかのように錯覚させる」ことこそが、油絵の威力を証明する最短ルートだったのです。