すべては60年以上前、首里高校が沖縄代表として初めて憧れの甲子園の土を踏んだ1958年にさかのぼる。敗戦を喫したナインが思い出にと持ち帰ろうとしたグラウンドの土は、当時の米軍統治下におけるパスポート制度と植物検疫法という冷酷な壁によって、那覇港の直前で海へと打ち捨てられた。
涙を流しながら海を見つめた球児たちの悔しさは、島全体に語り継がれる伝説となった。土すら持ち帰ることを許されなかった無念。それが「いつか本土の強豪を倒し、深紅の大優勝旗をこの島に持ち帰る」という、沖縄の野球人たちの原動力へと昇華していったのだ。