文治元年(1185年)冬。兄・頼朝と決裂した源義経は、愛妾・静御前や忠臣・弁慶らを伴い、京を逃れて吉野山へと踏み入った。降り積もる雪の中、修験者たちの保護を頼りにたどり着いたのが、この山の最深部に位置する社だ。
境内の脇、木々に囲まれた一角に佇む小堂「隠れ塔」(蹴抜けの塔)こそが、義経が追手の手から間一髪で逃れたとされる現場である。伝承によれば、追撃に現れた幕府方の兵や吉野の対立僧兵に包囲された際、義経は塔の屋根を蹴破って外へ躍り出、そのまま大峰の峻険な山腹へと消えたという。今なお残る重厚な宝形造りの建造物を目前にすると、当時の切迫した空気が肌を刺すように伝わってくる。
単なる伝承なのか、それとも歴史的事実なのか。現地の研究者は、「吉野は当時、自衛組織を持つ強力な寺社勢力の割拠地であり、修験道のネットワークなくして義経の潜伏はあり得なかった」と語る。歴史の闇に包まれた逃亡劇の背景には、山岳修験者たちと都を追われた武将との密接な政治的企図が絡み合っていたのだ。