阿川佐和子さんについて世間が最も誤解しているのは、「有名作家の娘で恵まれていた」というイメージだろう。たしかに経済的には恵まれていた。だが、その代償として彼女は「阿川弘之の娘」という看板を背負い続けてきた。大学を出て就職したのは出版社だが、そこでも「先生のお嬢さん」という目で見られた。テレビに出れば「作家の娘が何でタレントを」と陰口を叩かれた。エッセイを書けば「親の七光り」と言われた。この「名前との闘い」は、彼女が自分の言葉で語り始めるまでの長いテーマだった。
それだけに、阿川さんがエッセイストとして確固たる地位を築いたことの意味は大きい。彼女のエッセイは、日常の些細な出来事を鋭く観察し、そこに自嘲と知性を織り交ぜる。この手法は、父・阿川弘之氏の重厚な文体とは明確に異なり、むしろ「父からの自立」の証明でもある。インタビュアーとしての評価も、「作家の娘」ではなく「聞き手としての阿川佐和子」に対するものである。『週刊文春』の対談連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」は、1200回を超える長期連載となり、彼女の聞き手としての力量を揺るぎないものにした。
ここには、日本の芸能界・文壇に特有の「二世」というラベルの問題がある。親の名声が子供の人生を覆い隠し、本人の実力が過小評価される構造は、現代でも芸能二世や作家二世に共通する。阿川さんはこの構造を、正面から反抗するのではなく、「ユーモアで包んで時間をかけて実績を積み上げる」ことで打破した。この戦略は、同じく二世タレントとして活動する者たちにとっても参照点となる。