黒田官兵衛と息子の黒田長政との親子関係には、武家の厳格さと深い教育的配慮が同居していました。猛将タイプで猪突猛進しがちだった長政に対し、官兵衛は常に大局を見据えた知略を授け続けました。
関ヶ原の戦い後、家康から一番の功績を称えられ、右手を取って感謝されたと誇らしげに報告する長政に対し、官兵衛が放ったとされる名言がこちらです。
「その時、お前の左手は何をしていたのだ?」
(空いていた左手で、なぜ家康を刺して天下を狙わなかったのか)というこの強烈な返しは、父の底知れないスケールを物語るエピソードとして語り継がれています。
また、官兵衛が遺したとされる数々の言葉は、現代の組織運営やマネジメントにも通じる深い洞察に満ちています。
【黒田官兵衛の主な名言】
- 「我、人に媚びず、富貴を望まず」(他人にへつらわず、過度な富を追わないという清廉な信念)
- 「水五則」(自ら活動して他を動かす、常に己の進路を求めて止まざる、障害に逢いて激しくその勢力を百倍す、など水の性質に学ぶ処世訓)
- 「敵を味方にするのが最上の勝ち方である」(合戦の本質を武力ではなく調略に見出した知見)
晩年の官兵衛は、1604年に京都の伏見屋敷にて59歳で死去しました。死因は持病の悪化による病没と伝えられています。最期を迎える際、悲しむ家臣たちを黒田家からあえて遠ざけ、後継者である長政に権力を完全に集中させるため、冷徹な態度を崩さずに世を去ったと言われています。