父の残した巨大な影を背負いながらも、河野洋平は自らの政治哲学を貫いた。1976年には自民党を離党して新自由クラブを結成し、政治改革の急先鋒となった。その後自民党に復党し、宮沢内閣で内閣官房長官を務めていた1993年、歴史的な「河野談話」を発表する。
この談話は、慰安婦問題に対する日本政府の公式見解として、今なお国内外の論壇で議論が交わされる大きな足跡となった。野党転落後の自由民主党総裁に就任し、党の再建に奔走した洋平の軌跡は、政界の波乱を自らの決断で切り拓いてきた「孤高の政治家」としての姿を伝えている。