韓国最大の人権侵害と断罪される兄弟福祉院事件の根本的な原因は、当時の軍事政権が推し進めた「国際的イベントに向けた都市の浄化政策」にありました。1986年のソウルアジア競技大会、そして1988年のソウルオリンピックの開催を控え、朴正煕・全斗煥政権は対外的なイメージアップのため、首都や大都市の街頭から「目障りな存在」を力づくで排除しようと画策したのです。
その法的根拠として悪用されたのが、1975年に内務部が発令した「内務部訓令第410号」(浮浪者の取り締まり・収容及び帰郷及び事後指導に関する業務処理指針)でした。この訓令は、住所不定者だけでなく「浮浪の恐れがある者」という恣意的な解釈を可能にし、令状なしで無差別に身柄を拘束する警察・行政の超法規的権限を正当化しました。
現場では、警察官や行政職員に対して「収容人数に応じた実績評価」が課され、福祉院側にも「収容者1人あたりいくら」という形で莫大な国庫補助金が支給される構造が完成していました。その結果、家族の迎えを待っていた迷子、夜遅くに通行していた学生、仕事を終えて帰宅途中だった日雇い労働者に至るまでが、街頭で突然警察車両やワゴン車に押し込まれ、釜山にある巨大な収容所へと送り込まれたのです。
釜山・沙上区に約20万平方メートルもの広大な敷地を有していた兄弟福祉院の内部は、福祉施設とは名ばかりの「強制収容所」でした。収容者は囚人番号で管理され、軍隊式の規律のもとで起床から就寝まで監視下におかれました。昼夜を問わず敷地内の建設作業や下請け工場の過酷な重労働に駆り出され、賃金は一切支払われず、院長の私財形成のために搾取され続けました。