関東と関西の境界線はどこか?飛鳥の「三関」から紐解く東西の歴史

関東と関西の境界線はどこか?飛鳥の「三関」から紐解く東西の歴史

関東と関西の境界線はどこか?飛鳥の「三関」から紐解く東西の歴史の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。

時代が下り中世から近世へと移行する中で、境界線の概念は大きくシフトする。特に1600年の関ヶ原の戦いは、物理的にも概念的にも日本の東西を分かつ決定的な出来事となった。天下を掌握した徳川家康が江戸に幕府を開くと、日本の政治・経済の軸足は大きく東へと移動する。

江戸幕府は交通と防衛の要所として箱根関所を厳重に整備。これにより、それまで不破関周辺にあった境界線が東へと引き直され、箱根の関所より東の8か国を「関八州」、すなわち関東地方と呼ぶ慣習が定着した。家康による天下統一は、単に政権交代をもたらしただけでなく、「関東」という地理的概念を現代の首都圏周辺へと固定化させる決定打となったのである。

高橋 健太
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高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。