ハーフ疑惑が持ち上がるほどの気品と優雅さを漂わせる風吹ジュンさんですが、その生い立ちは想像を絶するほど過酷なものでした。過去にテレビ番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)や雑誌のロングインタビューで自ら明かした告白は、多くの視聴者に深い衝撃を与えています。
富山県で暮らしていた幼少期、風吹さんが小学校高学年の頃に両親が離婚。家庭は崩壊し、母親、2歳上の兄、風吹さんの3人は京都へと移り住むことになります。しかし、本当の試練はそこから始まりました。生計を支えるはずの母親が精神的に不安定となり、やがて別の男性のもとへと走り、子どもたちを置き去りにして家を出て行ってしまったのです。
当時、風吹さんはまだ中学生でした。残されたのは中学生の風吹さんと、高校生になったばかりの兄の2人だけ。母親からは時折わずかな生活費が送られてくる程度で、電気やガスが止められることも日常茶飯事という極貧の暮らしを強いられました。2人はアパートで身を寄せ合い、内職をしながら自炊をして空腹を凌ぐ日々を送ります。実家と呼べる温かな帰る場所はなく、兄妹だけで生き抜くしかなかったのです。
経済的な困窮から、風吹さんは高校進学を断念せざるを得ませんでした。15歳で中学校を卒業した直後から、京都市内の電熱線製造工場に就職。油にまみれながら働き、自立の道を歩み始めます。しかし、理不尽な境遇への葛藤や貧困から抜け出したいという強い思いから、18歳のときにわずかな所持金を手に単身上京。銀座の高級クラブで働き始めました。夜の世界に身を置きながらも、彼女が放つどこか凛とした佇まいと圧倒的な美貌は際立っており、来店客や関係者の目に留まりスカウトされたことで、芸能界への扉が開かれたのです。