高野山における金剛峯寺の成り立ちを理解する上で外せないのが、弘法大師空海による開創の精神と、「一山境内地(いっさんけいだいち)」という独特の空間概念です。弘仁7年(816年)、嵯峨天皇から山林の下賜を受けた空海は、修禅と密教修行の根本道場として高野山を開きました。元来「金剛峯寺」という寺号は、高野山全域に点在する117寺院すべてを一つの寺院とみなす総称として名付けられたものです。
現在私たちが参拝する壮大な本坊は、文禄2年(1593年)に豊臣秀吉が亡母の追福のために建立した「青巌寺(せいがんじ)」と、隣接していた「興山寺(こうざんじ)」が明治2年(1869年)に合併して総本山金剛峯寺と改称された歴史的経緯があります。
宗教学や歴史学の視点から見ても、金剛峯寺は単なる宗教施設にとどまらず、朝廷や戦国武将、庶民に至るまであらゆる階層の信仰と権力闘争を受け止め、調和させてきた文化的結節点でした。高野山真言宗の総本山として全国約3,600カ寺の頂点に立つ現在も、毎朝の勤行をはじめとする厳格な修行規律が連綿と受け継がれています。