90年代から2000年代にかけての日本の芸能マスコミは、高岡早紀に対して「恋多き女」「魔性の女」という固定化されたスキャンダラスなラベルを貼り続けました。その奔放な恋愛報道やミステリアスな佇まいは、大衆の好奇心を刺激する格好のコンテンツとして消費されてきた歴史があります。
しかし、後年の自著や回想インタビューにおいて彼女自身が語った言葉を精査すると、そこにあったのは煽情的な計算ではなく、「演じること・自らの肉体を使って世界観を創出すること」に対する純粋なまでのプロ意識でした。自叙伝『魔性ですか?』の中でも、彼女は次のように振り返っています。
「世間が私をどう呼ぼうと、私は私でしかない。カメラの前に立つときは、嘘偽りのない自分自身を提示することだけを考えていた」
篠山紀信との撮影現場においても、彼女はカメラマンに対して一切の妥協や躊躇を見せず、一瞬の光と影の交錯に自らを委ねていました。社会学的な観点から見れば、当時のメディア空間は「男性目線による受動的な性の客体化」が主流であったのに対し、高岡早紀が実践していたのは「自分自身の身体に対する主権の行使(セクシュアル・エージェンシー)」であったといえます。この主体性こそが、時を経ても作品から生命力が失われない根本的な理由です。