富山市総合体育館のルーツを辿ると、昭和から平成へと移り変わる時代に富山市が直面していた都市構造の転換期に行き当たります。当時、湊入船町に存在していた旧富山市体育館は1960年代初頭の建設であり、設備の老朽化と耐震基準の不足、さらには大規模な競技会を収容できないキャパシティの限界が長年の課題となっていました。これが富山市のスポーツ施設建て替え理由における最大の物理的要因です。
この老朽化問題に決定的な推進力を与えたのが、2000年(平成12年)に富山県で開催されることが決定した「第55回国民体育大会(2000年とやま国体)」でした。富山国体の2000年施設一覧を振り返ると、総合開閉会式が行われた富山県総合運動公園陸上競技場(富山市南部の富山空港近く)をはじめ、県内全域で多彩なスポーツ施設が新設・大規模改修されました。その中で、県都・富山市の中心部で屋内競技の目玉である体操競技を受け入れる最高水準の施設として白羽の矢が立ったのが、現在の富山市総合体育館だったのです。
都市計画の文脈からも、この場所が選ばれたのには明確な狙いがありました。当時の富山駅北側は旧貨物ヤードなどが広がる未利用地が多く、富山市は「富山駅北地区土地区画整理事業」と「富岩運河環水公園」の整備を一体的に進めていました。単に郊外の広い土地に箱モノを建てるのではなく、新幹線開業を見据えた駅北エリアのランドマークとして体育館を据える。1999年3月の開館に携わった当時の市都市開発関係者は、地方紙の回顧取材で「国体という国家的イベントを起爆剤にして、富山の未来の都市景観を一新する大勝負だった」と証言しています。富山市総合体育館の建設経緯は、まさに国体需要と中心市街地活性化が合致した歴史的な都市開発プロジェクトだったと言えます。