ネット上のQ&AサイトやSNSで定期的に白熱するのが、「仏の顔も三度まで」のカウントに関する論争です。結論から述べると、ことわざの学術的・歴史的見地からは「3回目で怒る」が正解とされています。
現代人が「4回目に怒る」と勘違いしやすい原因は、「〜まで」という助詞の響きにあります。「3回まではセーフであり、4回目にアウトになる」という現代的な法解釈やポイント制のような思考が無意識に働くためです。しかし、この言葉の成立過程を紐解くと、まったく逆のニュアンスであることが浮き彫りになります。
江戸中期に成立した上方いろはかるたには、次のように記されています。
「仏の顔も三度撫づれば腹立つ」
どれほど慈悲深い仏様であっても、無遠慮に顔を撫で回されるような無礼を「3回」も受ければ、さすがに怒りを露わにするという意味です。1回目は慈悲で受け流し、2回目は警告を含めて我慢し、そして3回目に顔を触られた瞬間に激怒する――すなわち、3回目のアクションを起こしたその瞬間にアウトというのが本来の文脈なのです。
「まだ2回目だから大丈夫」「3回目までは許してもらえるはず」という油断は、人間関係において致命的な破滅を招く引き金になりかねません。