この歌は元々、勅撰和歌集である『詞花和歌集』の「恋部」に採録された。のちに鎌倉時代の歌人・藤原定家が『小倉百人一首』を選定する際、数ある名歌の中から48番としてこの一首を抜粋した背景には、定家独自の美意識が深く関わっている。定家は自然の情景と人間の内面世界が密密に融合した表現を高く評価していた。
日本古典文学の歴史において、情景を借りて感情を述べる「物名」や「見立て」の手法は数多く存在するが、波の「砕ける」という激しい物理変化を心の破滅に結びつけた重之の技巧は異彩を放つ。定家はこの鮮烈な対比の中に、平安朝の美学である「あはれ」の極致を見出した。時代を超えて『小倉百人一首』に受け継がれたことで、重之の切ない思いは永久の生命を得ることとなった。