ロックバンドのシングルリリースにおいて、制作上の理由による発売延期は決して珍しい事象ではありません。しかし、2016年8月10日に発売が告知されていた「多分、風。」が、同年10月19日へと約2ヶ月以上にわたり発売延期された背景には、商業音楽のスケジュール進行とアーティスト個人の表現倫理との熾烈な摩擦が存在していました。
当時、ラジオ番組『サカナLOCKS!』や各種メディアの公式インタビューで山口一郎が赤裸々に語ったところによると、楽曲のトラック自体はすでに早い段階で完成していたものの、歌入れのための歌詞がどうしても一行も納得のいく形に仕上がらなかったと証言されています。締切の限界を迎えてもなお「妥協した言葉を世に送り出すことはできない」というクリエイターとしての純粋なエゴイズムが、CDプレスラインの停止という重大な決断を下させたのです。
制作期間はトータルで1年以上。幾重にも書き直されたノートには、疾走するBPM134のビートに対して「言葉の母音の響き」「子音のアタック感」、そして「日本語としての情景描写」がミリ単位でぶつかり合っていた形跡が残されています。単にキャッチーなフレーズを並べるのではなく、聴き手の脳裏に映像を立ち上がらせる文学的強度を担保するために、彼は文字通り自室に籠もり、孤独な言葉の採掘作業を続けました。